2022.12.20 新海誠『すずめの戸締まり』は獲得の物語である

こんにちは。

先日携帯を開いたらたまたまIQ診断をしませんかというお知らせがあり、興味もあったのでやってみることにしました。22問の設問に答えるだけの簡単なテストで診断結果は有料にてお知らせするとのこと。お金を払うほどのことでもないと思い、ほっておいたら2日後に料金半額のお知らせがあり、1000円払って結果を知ることにしました。先方の思惑にまんまと引っかかったわけですが、自分のIQを知るというのは、なかなか興味深くもあります。IQ130以上ですと全体の上位2%に入るそうです。しかし僕はそれには至りませんでした。予想していた通り凡庸な人間であることを改めて知っただけとなりました。

これと同じ時期にIQにまつわる記事を読みました。それは、IQ141の小学生が学校に馴染めないというもので、IQの高さゆえに周辺環境と折り合いがつけられないことの苦悩と、そうした才能を伸ばしてあげられるようなフレームの構築が必要なのではないかというものでした。この記事について、僕はその通りだと至極納得し、同時に全く異なることを考えてもいました。ADHDなど発達障害は、発達の凸凹が顕著にある状態のことです。発育のある部分は平均的にあるいはそれ以上に発達するが、ある部分では発達が遅れているということです。しかしこれは分母に対する平均値の帯から外れるものを障害と認定しているだけで、もちろんグレーゾーンもありますし、平均値の帯の中にあっても人の脳の成長というのは誰しも凸凹であるはずです。発達の凸凹は、この帯の下にあれば障害となりますが、帯の上にあると特別な才能になるんだよなとIQ141の小学生について思い、しかしその子の脳の発達も多分凸凹なんだろうと想像しました。言語化することで才能であったり障害であったりカテゴリー分類がされることについて、しかし人間は誰もが凸凹な脳を所有しており、加えて精神疾患など脳のバグなどもありますし、そういう意味でそもそも人間は誰しも不完全な存在なんだということでしょう。人は、自分を世界の中心に据えて、それとの比較において世界を認識し判断する点で自分を正として見てしまう認知バイアスが掛かっています。しかし、僕という人間が世界の中心に存在するわけではないということを、自分という存在を常に俯瞰的に見る癖をつけられたらと、僕は、脳の凸凹を抱えながら凡庸な知能指数でそんなふうに思ったのでした。

さて、タイトルの通り今回は新海誠監督によるアニメーション映画『すずめの戸締まり』について書きたいと思います。

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